お笑いをやる人生を選んだ人たち
私はお笑いが好きだ。
小さい頃からバラエティ番組ばかり見ていたし、たまにお笑いライブに連れて行ってもらっていた。たくさんの人を笑わせる彼らがとっても輝いて見えた。
さっきまであんなに悲しかったのに、悔しくてたまらなかったのに、嫌なことがあって泣きながら家に帰って、パソコンを開いて、当時やってたお笑いの生配信をつけると、いつのまにか爆笑していた。笑い疲れて、全部忘れて、あー面白かったっていつのまにか眠っていた。彼らは私にとってのヒーローだった。
中学生のとき、学校が全然好きじゃなかった。男子と女子で完全に隔たりがあって、お互い斜に構えて、自分以外の存在を馬鹿にするのがちょっとカッコいいんじゃないかと思い始める時期。嫌〜なこと言われたり、笑われたり、他の子がそうされるのを見てしまったり。外掃除してたら肩に毛虫が居て叫んだり。否、それはガチ偶然。
その頃の私はピュアピュア星人で、とにかく悪口陰口を言いたくなければ聞きたくもなくて、マイナスなことを話題にして仲良くなれる周りの子たちの中で、うまくやっていけずド正直に「わたし人を嫌いになれないんだ」なんて言ってしまっていた。「人を嫌いになれないから好きにもなれないんだよ(※当時"好きな人"とかいう感覚がわからなくて恋愛話についていけなかった)」とかイヤミ言われたりするうちに、なんとなく、仲良くもなかった男の子グループに嫌われたりした。
半端に大人に近づいて、自分のプライドもやたらと高かったし、こだわりとかコンプレックスとかメチャクチャに絡み合って超頑固だった。自分の生き易いように自分を見せることなんか全然できないくせに、どんどんしくじっていっぱい傷ついて、いっちょまえに悔しくなってよく泣いていた。なんか言われたとき言い返せもしないし、誰かに頼れもせず。
まだそういうときにじぶんが泣きたいかどうかわからなかったから、悲しいときは、笑いたかった。悲しいって気持ちから逃げたかったんだと思う。
ただのひょうきんものだった小学生の頃から、みんなが通るアニメや漫画、ゲームやヒーロー物のドラマは全無視してバラエティ番組ばかり見ていた。今思えばちょっとぐらいそういうのも見ておいてほしかったかも。
内村プロデュースと『ぷっ』すまが特に好きで、はねトびは深夜時代からバッチリ録画して見てて、エンタの神様は初回から欠かさず毎週見てた(初期は芸人以外もいろんな人出てたよね、なぜか別名のMr.マリックとか)。
笑いの金メダル、爆笑オンエアバトル、爆笑レッドカーペット、スリーシアターからのレッドシアター、ああもう全部懐かしい。全部見てました。
バラエティ番組ばっかり見過ぎて、見事に憧れてしまった私は、クラスも超えて、小学校の同学年の子たち数人でコント集団を結成して、レクリエーションでコントをやらせてもらったりしていた。紅一点で率先して台本書いて、こいつ絶対今より全然勇気ある。
ただひたすらお笑いが好きなだけだった小学生時代を終え、例の、闇の中学時代。ここでようやくはっきりと"お笑いのすごさ"に気づくのです。
誰かが言っていた「大嫌いだったコンプレックスが武器になる」って話が、私に突き刺さった。そりゃすげえ。また私は人前で顔を上げて大きく口を開けて笑えるかもしれない。
中学校に入ってわかってしまった"コンプレックス"ってやつを、上手く乗り越える術かもしれないと本気で考えた。
なんだって、ただ見るだけじゃなくその魅力について考え始めると、そこから更にのめり込んでしまうものですよね。生まれて初めて私は"オタク"になりました。(おめでとう!)
中学生の頃、よしもとの劇場(渋谷無限大ホール)の生配信をほぼ毎日見ていた。朝起きたらその日の出演者をチェックするのが日課だった。
いつか渋谷に行って、もちろんチケット買って入場もするけど、あの窓の外から中を覗いてみたかった(今はもう外から覗けないようになってるらしい)。
好きだった人たちの解散や引退を何度も見て、トークやブログで彼らの私生活のいろんな事情を知っていくうち、あんなに毎回開始前からテレビの前に貼り付いて待機してた賞レースを、見れなくなっていた。
(自分の将来の夢として)憧れていたというのもあって、なんかもう見たら泣いちゃうレベルまで来ていた。「好きすぎてもう見れない」になってしまったのだ。
この頃私は高校に上がっており、「好きな芸人さんの出囃子(漫才の登場曲を自分たちで決められるのです)やら劇場使用曲、彼らの話題に上がる彼らの好きなアーティスト」を聞き漁った結果音楽まで大好きになって、むしろもうそっちばっかりになっていた。今考えるとわけがわからん。なんで?
高校はなんやかんやで楽しくて、ギター始めちゃったり、歌うのが楽しくなってきちゃったりなんかして、お笑いからなんとなく離れてしまったままあっという間に過ぎ、大学生になった頃にはもうテレビすら見なくなっていた。
高校卒業したら大学行かずにNSCに入るんじゃ〜!なんて言ってた私も大学を卒業して。
今年になってふと思い立って、気になってた芸人さんのYouTubeチャンネルを見たのです。
それはあの憎いウイルスが流行って外出自粛ガチ期間に差し掛かった上に、始まるはずだった仕事まで失ったとき。家でただひたすら暇をつぶさないといけないってときにふと思いついたのが、それだった。
それまでは結構忙しめの販売業のバイトをしていたし、大学の中で出現する「やるべきこと」のペースには全然ついて行けてなかったし、卒業前後は、【テレビも見る気が起きない・好きだったはずの映画鑑賞も今の余裕のなさでは楽しめる気がしないから後回しにしたい・好きなYouTuberのたった5〜10分の動画さえ少し溜め込んでしまったら遡って見るのが億劫でもう追えない】モードになっていたのだが。
「あ、そういえば気になってたあの人たちの動画見てみるか。」と。
ちなみにこれがすゑひろがりず局番です。
1本、2本、けらけら笑いながら動画を見ていくうち、だんだん思い出してきた。ゲーム実況じゃなくネタも、そこでようやく初めて見たりして。
そっかM-1出てたんだ。
賞レース見なくなって全然知らなかった。
めちゃくちゃ面白いじゃん。
あ、気になってた空気階段のコントもついでに見ちゃおう。
えっめっちゃツボだ。
こういうの大好き。
公式でコントあげてくれててよかった。
知れてよかった。
コマンダンテの漫才も見たい。
見取り図のあのネタも久しぶりに見たい。
あ、金属バットのYouTube番組もあったな。
あれ?止まらん。
あれ?
あれ?
これは?
そういえば私めちゃくちゃお笑いが好きだった。
あ。思い出してしまった。
お笑いが好きで好きでたまらなくて、ネタで笑いたいのにかっこよすぎて泣いちゃうから、賞レースが見れなくなってたんだった。
なんだ、忘れてた。あんなに好きだったのに、すっかり忘れてた。嬉しい、思い出させてくれてありがとう。お笑いって私にとってめちゃくちゃ大切な存在だった!!
そこからの私の変化がすごい。
何よりまず、テレビを楽しく見れる。(楽しみな番組が増えた。というより、全く見てなかったので、面白い番組の存在にやっと気づけた)
億劫だったはずが、YouTubeを毎日追える。
新しく、気になってる人たちの動画や過去の出演番組を漁ってみようという気持ちが湧く。
びっくりすることに、ずっと観たかった映画を「さて観よう♬」ぐらいの軽さで観れる。
このメンタルの復活具合。すごくないですか?
見事に大好きだった場所に戻ってこれて、相当嬉しかったのでしょう。
数年ぶりに、お笑いが好きだったことを思い出せて、再熱して、私はハッピーです!
ありがとう!!!!!!!!
つまり何が言いたいかっていうと、長々とブログを書いた割に、別に何が言いたいのかよくわかりません。
あ、これは外出自粛開始直後からじわじわ思うことが多かったのですが、
「外でしかできない遊びは諦めて、自宅で没頭できる趣味で自分の機嫌をとるしかないこの時期に、わざわざ他者の好きな人やものを馬鹿にしてゴチャゴチャ言う人は何やってもダメ」
これですね。これ。これ、まとめです(キメ顔)(予定調和?)
【追】
中学生のころの私のところへ飛んでいって、
「カナリアはM-1に出るし、犬の心はKOCに出るし、そのうち見取り図もM-1出て、更に見取り図発信のワードが流行るよ」って伝えにいったらどんな顔するかな。
ピンネタが超ツボだった粗品くんがコンビを組んでM-1優勝することも、チョコプラが超売れっ子になることも、伝えたらびっくりして、大喜びするだろうな。
あなたが高校のとき勝手に名前を拝借して自分のあだ名に混ぜ込んだシソンヌもKOCに勝って今はテレビによく出てるし、パンサーもゴールデン帯のバラエティ常連になるし、かまいたちはKOC勝つわM-1もほぼ常連だわで売れっ子だし、山内さんのネタ中の言い回しがTwitterでテンプレ化されて流行るよ。
マヂラブの野田くんはゲームを作ってバズるし、M-1もKOCもR-1も全部決勝に行ってR-1優勝するよ。たぶんこれに一番驚くと思うけど、野田くん、スーツ着てるよ。
お笑い芸人になることは諦めてるし、入った大学は第一志望じゃないし、留年するし、就活もせずフリーターになってるけど、あの大嫌いだった中学なんかより今の方が全然楽しいし、今のあなたがびっくりするほどずっとお笑いから離れてたくせに、大人になって、びっくりするほど再熱するぞ…
しかも当時は東京の劇場ばっか見てて全然マークしてなかった大阪組にオチるぞ…覚悟しろ…
未来の私より
スターバックスに初めて行った日
つい先日、自分の意思で初めてスタバに行きました。
22歳と10ヶ月の女。
確か小学校高学年だか中学生だかの時に一度だけ友達に連れていかれたけど、コーヒーも紅茶も飲めなかったし、オレンジジュースとケーキだった気がする。なにがなんだかよくわかっていなかったし、それはノーカンとする。
とっても美味しかった。フラペチーノってやつは甘ったるくて胸焼けがして、飲んだ後に後悔する味だと勝手に思っていた。
ただの思い込みだった。ダークモカチップフラペチーノ。ほんのりコーヒーの香りがして、少しの苦味が爽やかで、甘さもスッキリ消えた。
ただなんとなく行きたくなかっただけだった。勝手なイメージで、言い訳ばかりだった。
私は作詞作曲を始めたころ、「かわいくなれない」という曲を作った。
4〜5年前の私は今より全然ひねくれていた。
スタバみたいな、空間からオシャレなお店に躊躇なく行ってSNSに写真をあげるような、
"流行りものやかわいいものごとを取り入れることに抵抗がない、明るくかわいい女の子"
について、こんな詞を書いている。
洒落たカフェで飲むやたら高いコーヒー
店の外まで並んだレイディ
きっと流行りの女の子はみんなこんな感じじゃなきゃだめ
私なんか論外 論外
…と、かなりピンポイントで皮肉っているが、彼女らを見下したかったわけではない。
私は私のことを私と呼ぶまで随分時間がかかった。自分が女らしくあること、他のキラキラ女の子たちと同じように振る舞い楽しむことがずっと許せなかった。結局のところ周りの目を周り以上に気にしていた。恋愛もそうだ。
「かわいくなれない」んだから、片想いなんてしたところで、そんな気持ちが喜ばれるとでも、許されるとでも思っているのか?と、本気で思っていたし、とても苦しかった。
かわいい女の子と並列するのが怖かった。
大学に入って2年ほど経ち、20歳になったころから、そのへんの考えを改めるようになった。その自己否定はきっとたぶん他者のことも傷つけてしまうと思ったから。自分を守るためだけに何かに偏見を持つことも、「私はブスだから」「調子に乗ってそんなことするの許されないから」そんな風に言ってしまうことも、辞めなくちゃと思った。卑屈に、自分以外の誰かの可能性まで狭めるような決めつけをするのは、逆に自分本位すぎるなとか、思ったからです。
ヘッジホッグとして出した「はきすてる」という曲では、こんなふうに歌っている。
恋を覚えてしまった
今更出遅れたやつだと見下されながら
これまで邪魔をしてきた自分の中の何かをやっと振り切ったのに
愛されて当たり前と思えたなら
普通を羨むこともなかっただろう
自分で自分の邪魔をしてきた、それはあまりにも邪悪だった。この苦しみを味わう必要もなく、初めから知っていたみたいに誰かを好きになって、誰かに好きと言える、普通の人が心から羨ましかった。
"流行りものやかわいいものごとを取り入れることに抵抗がない、明るくかわいい女の子"に、本当はずっとずっと憧れていたし、本当に憎いのは、そうなりたいのにどうあがいてもなれない自分のほうだった。
自分の中で、正常であるにはこうすべきと決めて自分を縛ってきた考えや方法を、何年も何十年も経って否定するのはとても怖い。
本当はそんなことしなくてもよかったのに。なんて、それを認めるほうが、その瞬間は残酷なように感じるの、なんでなんだろう。
苦しかった。辛かった。みんなが早々と通ってきた道を今更登り始めることに絶望した。
苦しむ必要ないのに長い間苦しんでいた過去の自分が可哀想なのかもしれない。でも、早く解いてあげないと。まだ気付けず拘っていたら、私は今でもずっとずっと寂しいやつだっただろう。
話を戻す。
スタバに初めて行ったとき、かなり緊張していた。スタバに行ってないのが逆にステータス的な、あのダサい自分とおさらばできた気がして、心臓がバクバク言っていた。
嬉しかったんよ。スタバの店員さんってめっちゃ優しいし、思っていた以上に何も気にすることなくすんなり入ってすんなり出ることができたし。自分なんかは場にそぐわないとか、誰かがきっとバカにするとか、くだらないこと、もう考えなくていい。
それに、流行りのタピオカのお店だって平気で行けたじゃない。ちゃんと美味しかったよね。もちもちで、黒糖の味が染みてて、最後ちょっとお腹いっぱいになりすぎちゃうけど、「これだから私なんかやめとけばよかった」とかもう思わないもんね。タピオカ撮ってSNSに載せても、どう思われようがどうだっていいし、ぜんぶぜんぶ平気。
ずっと苦しかったね。乗り越えたね、私。
今の私にはきっとあのひねくれ腐った詞は書けないと思う。それでも「かわいくなれない」はこれからも歌い続けるし、こんど新しく出すCDにも、録り直して入れるんです。変えられない自分が悲しくて寂しくて苦しくてどうしようもなかったときの私が、愛おしいから。
そんなこんなで(?)2月終わりから3月頭くらいのあいだに中島美保名義で6曲入りのCD出します。気になる人はチェックだドン。
自分をまるっと愛せるようになれたら最強だ。
まだまだへたくそだけど、そうやって優しくなりたい。生きる!!!
今日は特別な夜さ
ほんとは寝て日を跨いだ明日の夜をいうんだとおもうけど。今日は志村正彦さんのお誕生日。
わたしのとっても尊敬しているひとです。
フジファブリックを知ったのは、2010年だった。中学二年生のとき。フジファブリックのファンの方ならご存知でしょう。志村さんはもう、この世にはいませんでした。
その事実と関係なく、ネットに疎かった私は、そのとき、ある曲を知りました。
あれはDay Dripper。The Beatlesの名曲をもじったタイトル。歌詞がもうめちゃくちゃ意味わかんなくて、メロディも魅力的で、引き込まれてしまった。わたしは当時ただひたすらお笑いオタクだった。吉本若手芸人の追っかけで、神保町花月という劇場でやっている、芸人さんたちが本気でお芝居をするアレに使われていたBGMを探っていたのです。
そうしたら、見つけました。All Rightも同じタイミングだったな。とんでもない衝撃を受けて、TSUTAYAでお父さんにCDを借りてもらいまくり、YouTubeも漁りまくったところ、しばらくしてコメント欄を読んで初めて知りました。彼がもういないこと。
冗談よしてくれと思った。笑えないよと思った。だってたった今見つけた素晴らしい人だった。ライブが広島であるなら飛んで行こうとか思ってた。存在自体をつい最近知ったのに、それが既に叶わないってこと、すぐに知らされたんです。全身の力が、抜けてしまった。
そのとき私には何もなかった。学力も、会話力も、生まれ持った美しい姿も、前向きな姿勢も。絵を描くことが好きということ、うたうことが好きということ、音楽が好きということしか、なかった。ただそんな私を、彼のつくった楽曲がひたすら支えてくれた。
まぁそんな日もあるよね。わかるわかる。泣きたい時は泣けばいいよ。後ろ向きだから、過去のことばかり考えるからって、それがどうした、人間じゃんって言ってくれたのです。
それから、歌うことを習いに行きました。ギターも覚えました。楽器なんてリコーダーもまともに吹けなかったけど、それでも楽しんで覚えました。まともに周りの子とおなじようにものごとを覚えられる器用さはなかったけど、いちばん真剣でした。偉大な彼が居たから。
最初に弾けるようになった曲は、茜色の夕日だったな。あなたのおかげで、Fが弾けたよ!指は痛かったけど、苦じゃなかった!
そんな素晴らしいあなたの迎えた最後の誕生日から、10年も経っちゃった。そう考えたら涙が溢れてきて、びっくりするほどサボり散らかしてるブログを更新しています。
初めて一人で行ったライブはフジファブリックのワンマン。志村さんが遺したものを繋いだいまのフジファブリックがそこにいた。昔のTシャツを着たお兄さんが一人で不安げに開演待ちをする幼いわたしに話しかけてくれた。彼の生きてた頃のライブはこんな感じだったよって笑顔で話してくれた。愛に溢れていた。みんなあなたことをまっすぐ好きだと言えるのはあなたのせいだ。あなたが素晴らしいからだ。あなたのせいで今日もわたしは音楽のことばかり考えてるしたくさんたくさん自分のダメな部分もうたに換えてきた。
生きてく中で、たいせつなものをくれて、本当にありがとうございます。
なんにもなかった私に、生き甲斐をくれた。
私のことを認めてくれる素敵な人たちが周りにいるのも、あなたに出会ってわたしがいろいろ変わったからだと勝手に思っています。
今日は特別な夜さ。知るのが遅かったなんて、いまは思いません。出会えて嬉しい。きょうもあしたも生かしてくれてありがとう。
フジファブリックが大好き。
以上です。
今夜、すべてのバーAMで
に、行きました。まだいるんですが。
しあわせ。めっちゃしあわせ。
流川のAMというバーで度々ある弾き語りライブ、ちょいちょいお邪魔しているのですが、バーであるライブはとても良いですよね。
カウンターに並んで座っているひとたちがみんな頭を別々の位置に置いてまっすぐ端っこのステージに立つひとの歌を聞いてる。なんて言えばいいのかわからないけど、めちゃくちゃ大人数で集合写真撮ってるときみたい。細長いところで縦にそれぞれ視線を分け合って見てる。
いいお酒を飲めるんですわ、素敵な空間!合間合間にあたらしいお酒を頼むひとたちがいい顔をしていて、みんないいお酒飲んでるんだなウフフって思う。
それぞれ気持ちが傾く曲があって、それぞれ別の表情をしてるのがわかって、ドキドキします。ハタチはこえたもののまだまだ生まれたての新生児なので、いちいち新鮮でございます。
佐古勇気さんとおはなしできて嬉しかった。
いい夜だ。あしたも1限がんばります。
おやすみなさい。
ブログ始めました 冬なので
序:毎日投稿はしません
飽き性なのでいずれログインすらしなくなると思いますが、ブログを開設しました。
超個人的な記事を載せたりしますので、いちいちツイートでお知らせするかどうかも、未定であります。
ツイートで事足りる量のことしか言わなくなったら、叱ってください。
今日は久々に路上ライブをしてみました。
今日からちょうど一週間後のクリスマスイブにあるライブの企画バンドの練習をして、そのあと歌いに出たわけですが、これが毎回ノープランなのです。
毎回なんも考えてないんで、どうしようあ〜〜〜〜!!!!ン〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!とか言ってる時間が長くなります。
久しぶりに粉雪を歌ったらサビがめちゃくちゃ気持ちよくてテンションが上がりましたが、寒いし1時間歌って引き上げました。
真冬は動く気がなくなるのでそろそろ弾き語り冬眠の時期でしょうか。路上ではまた春に会いましょう。
ボーッとしてたら日付が変わりました。
これから卒論を追加で4ページ書きます。
明日は1限から授業です。
元気出していきましょう。エーザイ
追記:なんか記事を彩る仕掛けがあるみたいですが、よくわからないのでしばらく黒づくめです。よろしくお願いします。